ヌルは原川玉子によると、人類が初めて出会った未知の電脳体という事になっているが、別な見方も存在する。
すなわち、生身の人間の意識を収容する空の電脳体である。
コイルス社は電脳空間の可能性として、肉体の物理的束縛からはなれた自由に行動できる仮想空間というものを考えたのではないだろうか?
その仮想空間の中で生活するための電脳体として、中身がない空のヌルを用意したと考えられる。
もう一つの世界
この仮想空間の生活は物理的制約を受けない。
瞬間移動も可能なら、空を飛ぶ事もできるし、眠る必要もない。生身の肉体ではないので、疲労を感ずる事もない。
コイルス社はこの夢のような世界の住人としてヌルを用意し、現実の世界からイマーゴ機能を使い、顧客の精神を移し永遠のテーマパーク的電脳世界を作り上げようとしたのではないだろうか?
これはそれほど大胆な発想だろうか?
これは電脳空間と電脳体があれば実現可能であると思われる。しかし、重大な倫理的問題が生じる。
一生この電脳空間で生活するとなれば、生身の体はどうしたら良いのだろうか?不要となれば臓器提供用のパーツとして医療関係機関の管理となるのであろうか?
また、一時のバカンスとして過ごすのであれば、それまでの間、生身の体はどうなるのだろうか?
おそらくコイルス社はこの技術の実現のために実験をしたはずである。そのために用意された空間がCドメインであり、そこには意識を移植されるのを待つヌルが用意されていた。
しかし、想定外の事故が生じ、その実験は中断され、ヌルが取り残されたのではないだろうか?
その結果、Cドメインの中ではヌルが移植される意識を求め、さまよい歩いていたのだろう。そしてCドメインと我々の世界が繋がったとき、ヌルは我々の電脳体から精神を抜き取っていったのかもしれない。









